大木喬任誕生地 ~佐賀藩勤王志士の生家跡~

大木喬任誕生地碑
大木喬任誕生地碑

近くには生家跡があり、記念碑が建てられている。

大木公園(大木喬任生家跡)

龍谷学園の校門近くに、大木喬任誕生地・龍造寺隆信公誕生地の石柱がある。
また、大木喬任の生家跡である大木公園には、大木喬任と息子の大木遠吉の記念碑が建てられている。

大木公園のガイドパネルより。
「大木喬任、1832(天保3年)~1899(明治32年)はこの地に生まれ、佐賀藩校弘道館に学んだ。枝吉神陽らの影響を受けて勤王の志を抱き、「義祭同盟」に参加、中野方蔵・江藤新平らと親交を結び佐賀藩の勤王運動に参画した。明治維新の大業成るや新政府に招かれ、江藤新平とともに江戸遷都を建議しこれを実現させるために奔走した。のち民部、文部、司法各卿、文部・司法両大臣、枢密院議長などを歴任したが、特に文部・司法は大木の独壇場と称され、1872(明治5年)初代文部卿として、「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」の学制を発布し、近代教育の基礎を築いた功績は大きい。大木遠吉は喬任の三男で、政治家として嘱望され、司法大臣などを歴任した。」

2019/9月訪問

大木喬任誕生地(佐賀県佐賀市):

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